フリントは風に舞う。

アニメ語りメイン。出崎、富野好き。実写は目下勉強中。

『キルラキル』第2期OPの演出にみる、「映像の方向性」 【16話】

『キルラキル』16話でOPが変わりましたね。

新OPを見て、富野監督が言うところの「映像性の方向性」を思い出しました。

 

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

映像の原則 改訂版 (キネマ旬報ムック)

 

 アニメ批評に興味を持っている方には、是非読んで欲しい1冊。

富野御大が映像作品における演出のイロハを解説してくれています。

 

最も興味深いのは、映像が持つ「方向性」の話です。

 

 画像の動きの方向性そのものが意味性を持つということは、視覚印象そのものが心理的なダイナミズム(力学)を喚起するからのです。
 わたしたち人間の目が視覚することによって得た視覚印象は、直接的に心理的な刺激になりますから、この感受したものの直接印象には、解釈や理解がはいりこむ余地がありません。  

 私たちはこの映像の方向性によって、物語の意味性を無意識のうちに感じ取ってしまうんですね。

 

流子と皐月の方向性の違い

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それぞれのカットが持つ方向性は、左のカットは右方向、右のカットは左方向になっています。

このふたつのカットのつながりは、“対立する相手の出現”を意味しており、流子と皐月の対立を視覚的、直観的に感じ取れます。

 

富野によると、

葛藤=もつれ、争い(つまり、対立であり衝突)

劇(ドラマ=物語)=葛藤を描くこと

ドラマ=葛藤というのは、よく言われてることですよね。

ハリウッドの脚本家の巨匠・シド・フィールドも、「映画は葛藤くもの」と断言しています。

 

また、

このように考えますと、映像としては、たえず対立構造を描いた方がいいのですが、それを描くためには、まずは、物理的にも感情的にもスムースな流れを構成できる基礎学力がなければ、いざというときに対立も葛藤も描けませんので、葛藤を描くという命題はいつも意識する必要があります。

『キルラキル』は「葛藤」を描くことを徹底していると思います。

第1部(15話まで)は、流子と皐月の対立が物語の主軸であり、その葛藤をくどいほど徹底的に描いていましたよね。

 

 

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面白いのは、流子と皐月は対立しながらも、行き着く目標は、同じ鬼龍院羅暁ということですね。

第2部(16話以降)の物語の方向性が暗示されています。 

 

 むすび

フィクションにおける物語の基本は、「葛藤」「対立」を描くことです。

映像作品においては、それを映像的にも表現することで、物語ともシンクロしてダイナミズムが生まれます。

『キルラキル』は脚本から映像表現に至るまで、すべてにおいて「葛藤」を描くことに徹底していますよね。なので、分かりやすいし、これだけ興奮して観ることが出来るのだと思います。

 

あと、サンジゲンの3Dパートもぐりぐり動いていてよかったと思います。