フリントは風に舞う。

アニメ語りメイン。出崎、富野好き。実写は目下勉強中。

『耳をすませば』を観た

 

耳をすませば [DVD]

耳をすませば [DVD]

 

 

公開:1995年7月
監督:近藤喜文
脚本・絵コンテ・制作プロデューサー:宮﨑駿
作画監督高坂希太郎
音楽:野見祐二

 

録画していたジブリの『耳をすませば』を視聴した。去年の夏、『風立ちぬ』の公開に先駆けて、金曜ロードショーで放映されたものだ。
耳をすませば』を観るのは、小学低学年のころを最後にして、今回二度目である。当時は、子供だけに全然おもしろく感じなかったが、今観ると胸に突き刺さるものがあった。ジブリ作品の中でもかなり好きな作品となった。

表面的な物語の軸は「雫と誠司の恋愛模様」だった。前半は、雫の憧れの人「月島誠司とは一体誰?」という謎を軸に物語が進んでいく。
だが、後半になって、ふたりの恋愛感情を描くよりも、雫の将来に対する葛藤を描く方向にシフトしていった。このあたり意外だった。だが最も面白かった部分である。

雫は、バイオリンをつくりたいという誠司の夢に感化されて、「作家」になることを志す。だが、その道は険しい。ありきたりな進路を歩むのに対し、他人と違うことを目指すことの辛さ……。自分の境遇と重なる部分があって、かなり感情移入して観てしまった。「好きなだけじゃダメなんだ、もっと勉強しないと」というセリフには深く頷いた。

この映画は「カントリーロード」という曲あってのものだな、と感じた。この曲が登場するシーンは、すべて魅力的であった。特に映画のオープニング、雫と誠司とおっちゃんたちがセッションするあたりは、お気に入りのシーンである。
この「カントリーロード」の曲や、風情豊かな街並みも相まって、ノスタルジックにさせられる映画でもあった。

カントリーロード」とは故郷をうたった歌である。であれば、映画のテーマも「故郷とは何か?」を問うものなのだろうか。「故郷ってよく分からない」という雫のセリフが印象的だった。ちなみに、私も転勤族だったので、故郷がよく分からないという雫に共感できる部分がある。
雫たちの住む街は、いわゆるベッドタウンである。ビルが立ち並ぶ都市からは少し離れて、田んぼや集合住宅地が立ち並ぶ場所。「故郷」といえば、ステレオタイプな「田舎」が連想されがちである。が、雫たちの街はコンビニもある、ごくごく平凡なベッドタウンである。そのあたり、「故郷」という感覚が希薄となっている理由なのかもしれない。現代の我々にも通じところがある。

本作は実在する東京都の街を舞台したということもあり、かなり現実寄りな作品であった。ファンタジーばっかりなジブリ作品の中では、異色な存在である。
その一方、ファンタジー要素もちゃっかり挿入されていた。雫の小説の内容を描いた場面である。猫人間と一緒に空を飛ぶシーンは、映像的な迫力があってよかった。

美術が素晴らしかった。東京の街並みがリアルかつ叙情的に描かれていた。とくに夜景が美しかった。

家族のやり取りがいかにも「ありそうな感じ」で良かった。「洗濯もの入れといてって言ったのにー!」という母のセリフとか。

誠司の祖父であり、骨董品の店長である司朗が良いキャラクターだった。本を読み終わって、雫を励ますセリフには、自分も勇気づけられた部分がある。
また「(宝石は)磨かれる前のほうが良い」というセリフが印象的だった。そのセリフから言えることは、『『耳をすませば』とは、雫と誠司のふたりの、人生で最も美しい瞬間を描いた映画ということだ。
そうすると「じゃあ大人になったあとは美しくないのか?」という疑問が生じる。おそらくその通りだ……宮﨑駿にとっては。宮﨑駿が、少女ばっかり描くのも、そういったことに原因があるのかもしれない。

一点だけ気に入らない点がある。屋上で誠司が雫に「前からお前のこと知っていた」と告白するくだりだ。「えー、ストーカーじゃん!」かと思わず思ってしまった。これが無ければ、綺麗に「王子様」していたのに……。何でわざわざ告白させる必要があったのか気になるところだ。

全体的な感想としては、ひとつのテーマに収まり切らない、複合的な味わいがある作品だなと感じた。