フリントは風に舞う。

アニメ語りメイン。出崎、富野好き。実写は目下勉強中。

新海誠 『星を追う子ども』を観た

 

劇場アニメーション『星を追う子ども』 [Blu-ray]
 

 

星を追う子ども
公開:2011年5月
監督・脚本:新海誠
音楽:天門

 

新海誠監督の『星を追う子ども』を観た。新海誠作品のなかでは、評判はあまり良くないので、あまり期待はしていなかった。率直な感想は「たしかに物足りないが、良い部分もある」だ。

本作は、これまでのパーソナルでリアリスティックな作風とはうって変わり、ファンタジー色が強く「大衆」を意識した作品になっている。フィルムからはそうした挑戦的な姿勢がうかがえる。しかし、新海誠作品であるからして、観客としては『ほしのこえ』や『秒速5センチメートル』のようにセンチメンタルな気持ちにさせてくれることを期待してしまうものだ。これは自分が悪いのだが、そうした姿勢で本作を観ていたので、ちょっと物足りなさを感じた。
では、純粋に「ファンタジーもの」として見たらどうか? 正直、それでも物足りなさを感じる。やはり、ジブリと比べてしまうと、映像的な迫力や物語の力強さが見劣りしてしまうからだ。

森崎は非常に魅力的なキャラクターだった。これまでの新海誠作品の中では断トツだし、氏の作品にかぎらずこれまで観てきた作品においても、トップクラスの味を持つキャラクターだった。「死んだ人を生き返らせる」というのは、倫理的な問題もあって、一般的には褒められたものではない。でも、一途に自分の願いを叶えようとする姿はカッコいいし美しい。それに哀愁も誘われる。新海誠がインタビューで言っていたけど、「理性」と「感情」――ふたつの矛盾したものがせめぎ合っている部分も良い。

自分にとって、本作の主人公は、アスナではなく森崎だった。アスナは森崎に比べると見劣りしてしまう可哀想なキャラクターだ。アスナが地下へ行く理由もはっきり明示されない。それに比べて、森崎は「妻を蘇らせる」という確固たる「欲求」を持っている。やっぱり主人公には、こういう欲求がないとなー。さらにアスナが活躍する場面もほとんどない。主体的に行動しているのではなく、何となく流れのままに身を委ねているようなイメージがあった。

森崎とアスナの擬似家族的な完成性は、観ていて心温まるものがあった。本作でいちばん気に入ったのはこの部分である。

ラストの地下世界の神と対峙する場面は、観ていて「おお!」と思った。まず、神のデザインが面白い。全身に目がたくさんあって、不気味なんだけど神秘的、神でもあり悪魔にも見えるような存在だった。「妻を蘇らせるためには誰かを身代わりにしなければならない」そう神に宣言されたときに現れるアスナ。そのときの森崎の表情が印象的だ。「理性」と「感情」の葛藤によって、森崎は涙するんだけど、この表情が良い! 井上和彦の芝居も素晴らしかった。結局、アスナを身代わりにするんだけど、それだけでは足りなくて、森崎の目も代償とされる。これは「地上に戻るまで妻を見てはならない」というイザナギの神話にならったものだ。森崎の妻が消えて行ってしまう場面は、森崎に感情移入しているので、観ていてとても切なかった。

全体的に、これまでの作品と比べると新海誠テイストは薄い。しかし、たしかに新海誠の作品だなと感じた。とくに森崎というキャラクターは、非常に新海誠的な側面を持っている。これまでの主人公と同様に「過去」にとらわれたキャラクターだからだ。彼はその後、妻の死を乗り越えることが出来たのか? ラストシーンでは、アスナの前向きな姿が描かれていたが、正直アスナには関心が薄かったので、森崎がどうなったのか描いてほしかった(笑)。