フリントは風に舞う。

アニメ語りメイン。出崎、富野好き。実写は目下勉強中。

『PERSONA3 THE MOVIE #2』を観た

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『PERSONA3 THE MOVIE #2 Midsummer Knight's Dream』をシネ・リーブル池袋で観てきた。第1章同様、満足のいくものだった。ちなみに原作ゲームの大ファンです。

ドラマの軸となっていたのは、天田と新垣との因縁だ。天田は新垣に憧れていたんだけど、制御を失い暴走する新垣のペルソナを見て、彼が母親の仇だと発覚する。そして新垣を呼び出して、殺そうとするんだけど実は彼は死期が迫っていて、「僕が殺す必要ないじゃん!」うんぬんと。

この天田と新垣との関係性は、原作ゲーム版をより膨らませているように感じた。とくに母親の死に関しては、ゲーム版では間接話法的にしか語られなかったけど、アニメ版ではその場面がきっちりと描かれている。また新垣が味方のピンチを救う場面で、荒垣がまるで王子様のように描かれたりして、天田が彼に憧れている感じがよく出ていた。

新垣の死で映画は終わるため、観客は暗い気持ちのまま映画館をあとにすることになる。ハッピーエンドやカタルシス的なものを期待していたファンにとっては、不満が残ったかもしれない。でも、この終わり方は個人的にはよかったと思う。この暗い気持ちというのは、まさに登場人物たちと同じ気持ちなのである。

「登場人物との同化」と関連した話では、結城理や順平の「この戦いが終わらなければいいのに」という葛藤もドラマの中心に据えられていた。敵対グループとして登場するストレガは、タルタロスの存続を願っている。さらに彼らは、結城理たちに「お前らも戦いがずっと続けばいいと思ってるんだろ?」的なことを言い放つ。このストレガの発言や結城理たちの葛藤にはドキッとさせられるものがある。なぜならば、観客も「このアニメがずっと続けばいいのに」――つまり結城理たちの戦いを望んでいるから。ゲームをやっているときには気づかなかったんだけど、このストレガという存在は、我々プレイヤーにとっての「アンチテーゼ」的な存在だったんだなと気づいた。

今回、主人公の結城理の活躍が少なかったし、また発言自体もほとんど無かった。それは、「結城理に同化してほしい」という意図があったのではないだろうか。もともと結城理は、ゲーム版ではプレイヤー――つまり自分そのものだ。先述した、戦いをずっと望む葛藤を観客にも味わってほしいという意図があったんだと思う。

サブテーマがあるとしたら「決定的な出逢い」だろうか。結城理とアイギス、天田と新垣、順平とチドリ、それぞれのパートナーとの出逢いのシーンが印象的だった。スローモーションを使ったりして、「出会ってしまった!」という感じを上手く表現していた。天田と荒垣に関しては、荒垣が白馬の王子様のように描かれていて面白かった。

アイギスに関して。ゲーム版以上に魅力的に感じられた。やっぱり絵になって動くとそれだけで生命力みたいなのが出てきて良いな。火器を扱ったアクションもカッコ良かった。絵になって動くと、他の生身のキャラクターと違って圧倒的に強く感じてしまう。

原作ファンとしても、アニメファンとしても満足な出来でした。第三章も楽しみ。

その他雑感

・構成も良かった。見せ場となるイベントをうまく抽出していた。省略もいい感じ。
・オープニングのラブホのシーンはドキッとさせられた。その後の派手なアクションシーンもあいまって、映画のツカミとしてはバッチリ。