フリントは風に舞う。

アニメ語りメイン。出崎、富野好き。実写は目下勉強中。

『劇場版 銀河鉄道999』は「ガンダムF91」に似ている

 

銀河鉄道999 [Blu-ray]

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■「F91」との類似

先日、『劇場版 銀河鉄道999』を観て、「ガンダムF91」に似ていると思った。

なぜならば、両作とも「論理」ではなく「感性」に訴えるフィルムだからだ。

『劇場版 銀河鉄道999』は、2時間という短い尺にいろんな物語要素をメチャクチャ詰め込んでいる。母親の仇である機械伯爵を倒したところで終わりかと思ったら、まだ物語が進むこと、進むこと。脚本の欠点は昔からよく指摘されているけど、それでも作劇としては非常に面白い。それは監督りんたろうの演出の功績だろう。

アニメ評論家・藤津亮太は『F91』について以下のように語っている。

「確かに『F91』には作画が一部乱れるとか、物語が中途半端に積み残されるとか、いくつかの明確な欠点がある。だがその一方で『青の6号』監督の前田真宏のように「好きだ」と明言する人がいるのも事実だ。言葉で論理的に緻密に設定されたテーマがある一方で、それは論理のまま物語を侵食していない。それはストーリーの流れが、職人的テクニックによって実に観客の気持ちを楽しく誘導しているからに違いない

『アニメ評論家宣言』「冒頭の5分間『機動戦士ガンダムF91』」より

これらの言葉は、ほぼほぼ『劇場版 銀河鉄道999』にも当てはまる。

ガンダムF91』はもともとTVシリーズとして企画されていたものを、映画用に再構成した作品だ。そのためシナリオには多少の強引さがある。『999』もたしかにシナリオの粗が目立つ。たとえば、時間城でアンタレスがあのタイミングで登場することなど。でも、そういった疑問を抜きにして、観客はフィルムにのめり込むことが出来る。観客の「論理」の部分を飛び越えて、「感性」に訴えかけてくるのだ。それは、フィルムが徹底的に理詰めでつくられているからである。決して「論理」を無視してつくられているわけではない。富野監督いわく「映画は感性だけではつくれない」。

 

メーテルについて

本作は、「復讐譚」「SF」「ジュブナイル」といろんな側面があるけども、やっぱり「鉄郎とメーテルの関係性」に惹かれる。

本作の魅力は何かと言えば「メーテル」につきる。松本零士の繊細な描線を損なうことなく、立体感を持ったキャラクターデザインとして再構成した小松原一男には拍手を送りたい。メーテルを演じた池田昌子も本当にハマり役だった。

改めて見てもメーテルの圧倒的なヒロインっぷりには驚愕する。憂いを帯びた表情、圧倒的な母性力、いま見てもこれほどまでに魅力的な女性キャラはそうそういない。

もっともカタルシスを得られたのは、機械伯爵を倒したところでも、機械化母星メーテルを破壊するところでもない。メーテルとのお別れのシーンだ。

「私は、あなたの思い出の中にだけいる女。私は、あなたの少年の日の心の中にいた青春の幻影」

これはアニメ史上屈指の名セリフだ。このセリフは鉄郎だけではなく、視聴者である我々の心にも染みわたる。「メーテル」なんて人物はこの世にはいなく、所詮アニメのなかの架空の人物だ。でも我々の思い出の中で、メーテルはちゃんと生き続ける。そのことをメーテルは「幻影」と言ったが、べつに幻影でもいいじゃないか。アニメキャラってそういうもんだし。その当時劇場で観ていた思春期の子どもにとっては、このメーテルの言葉はちょっと残酷だったかもしれないけど。

 

■むすび

てんこ盛りなシナリオだけあって、濃密な映画体験が出来た、というのが率直な感想です。