フリントは風に舞う。

アニメ語りメイン。出崎、富野好き。実写は目下勉強中。

『思い出のマーニー』を観た

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池袋HUMAXシネマズで『思い出のマーニー』を観てきた。実は、先週末、池袋西武で開催された『米林宏昌原画展』に行ってきて、そのとき本作『マーニー』の原画もすでに観ていた。普通なら映画本編を観たあとに原画展に行くところだが、たまたまそういう機会があったので。その原画展で『マーニー』の原画や美術を見て、「これは期待できそうだな」と思っていた。実際、傑作だった。

ネットの前評判で「百合、百合」と評されていたとおり、百合要素もふんだんに盛り込まれていた。マーニーと杏奈のやり取りには思わずほっこりさせられた。印象的だったのは、ふたりの肌の触れ合いがやたら多いこと。初対面のときはマーニーが杏奈に手を差し伸べ、ボートに乗っているときマーニーが後ろから杏奈に抱きつく。百合好きにはたまらん内容である。
こういう肉体的な触れ合いがあるから、マーニーが亡霊、あるいは杏奈の妄想だったことには素直に驚いた。

先週『米林宏昌原画展』で『マーニー』の原画を見て思ったのは、「マーニーは色んな表情を見せてくれる面白い女の子だな」ということ。たとえるなら「宝石」である。宝石は見る角度や光のあたり具合によって、違った味わいが生じる。マーニーも同じである。今回本編を見て、さらにその印象が強くなった。シーンが変わるごとにまた違った側面を見せてくれるマーニー。「次はどんな一面を見せてくれるんだろう?」という期待を持ちつつ、本編を観ていた。

マーニーの魅力を述べたわけだが、個人的にはマーニーよりも杏奈のほうが気になるキャラクターであった。杏奈に感情移入して観ていたからだろうか。杏奈はあることが原因で心を閉ざし、他人と距離を置くようになる。その一方で、「絵を見せて」と言われると喜んだりする。つまり「自分を知ってほしい」「他人と関わりたい」という欲求も、心の隅で持っているのだ。このあたり自分と近いなーと思って共感してしまった。自分以外にも杏奈に共感した人は多いのではないだろうか。とくにオタクはそういう性格の人が多いので。

『マーニー』はそんな杏奈の成長物語であった。序盤、杏奈の表情は乏しかったが、エンディングでは豊かや表情を見せてくれる。そんな杏奈の変化に感動できるのは、表情や心の機微をしっかりと描いてくれた作画の力が大きい。

杏奈はよく意識を失って道端でおねんねをする。このあたり『リトルバスターズ』の理樹のナルコレプシーを彷彿とさせる。何故、気を失うかは映画では語られないし、その理由はよく分からなかった。レビューサイトを見たところによると、その理由は「祖母に語られなかった部分だから」ということ。なるほどなー。

ぼくのなつやすみ』的な「こういう田舎っていいなー」みたいな感覚があった。今せっかく夏なのに「夏的な楽しみごと」を全然できてないので、ちょっとした旅に行ったような気持ちになれてよかった。それは美しい美術背景のおかげだろう。さすがスタジオジブリといったところ。とくにマーニー家あたりの湿地の雰囲気は素晴らしかった。

同監督が手掛けた『借りぐらしのアリエッティ』はそこまで楽しめなかったが、この『思い出のマーニー』は胸に響くものがった。でも、「何で良かったか?」は今はまだ整理がついていない。その理由が分かったら加筆するかも。