フリントは風に舞う。

アニメ語りメイン。出崎、富野好き。実写は目下勉強中。

『機動戦士ガンダムUC episode 7 虹の彼方に』を観た

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昨日、新宿ピカデリーで『機動戦士ガンダムUC episode 7 虹の彼方に』を観てきた。上映時間が2時間と聞いて、これまでの60分と違って長いなーと思っていたが、宇宙世紀シリーズのダイジェスト版があったのね。で、このダイジェスト版でけっこうお腹いっぱい――というか、『逆シャア』のラストシーンで十二分に感動してしまった。

本編の方は、良かったか悪かったで言えば、「良かった」と言える。だけど、リディが邪魔なんだよなー! たしかにマリーダの死がトリガーになって、リディは生まれ変わり、ほかの人々の心を繋ぎとめるという展開は理解できる。でも、そのあとマリーダを殺しといて、いけしゃあしゃあとリディが活躍するのは納得ができない。こう感じた人はけっこう多いのではないだろうか。「リディこの野郎…」という思いが先に立ってしまい、物語に没入するのが阻害されてしまった感じ。観客の感情曲線をコントロールするという点では、リディにマリーダを殺させるのは問題だと感じた。まぁ原作がそうだからしょうがない点ではあるが……。

バナージはほとんど成長しないキャラクターだったといえる。初めて登場したときから、どんな正論を言われても、「それでも」と言って理想主義を捨てない。それが最後まで変わらなかった。だから、バナージは感情移入しづらいキャラクターである。「バナージ君、キミの言いたことは分かるけど、現実的にはねぇ…」と思うのが人間の心情だ。それに対し、フル・フロンタルは、超現実主義の男だ。はなから人を信じていないがため、彼の提案する政策案は極めて実用的である。そういった意味で、フル・フロンタルのほうに感情移入して見ていた。
でも、バナージに共感できない現実主義的な私でも、『逆シャア』オマージュのあのラストシーンには感動してしまう。フル・フロンタルは、最後、人の可能性を信じたのか安らかな表情で退場する。観客としてあのシーンで感動してしまうのは、フル・フロンタルと同じく「人々は分かり合えるのかもしれない」とちょっとした希望を抱いてしまうからだ。これこそ映画的な体験である。

全体的にキリスト教的だなと感じた。特に洗脳から解除されたマリーダは聖母マリアそのものだ。名前もモロだし。バナージの超理想主義もどこか浮世離れしていてキリストっぽい。ラストシーン、バナージは身を挺してコロニーレーザーを止める。あそこで死んでたら本当にキリストになっていた。

予告編で流れた『ジ・オリジン』はメチャクチャ楽しみ。作画が安彦良和のあの独特な描線ををしっかり再現していて期待できる。